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「帰郷にあたり思う事」

門馬佳織さん(県外避難→県内へ)
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帰郷にあたり思う事

 那須塩原に3月に来てから2年4ヶ月が経ち、8月のお盆前に帰郷することにした、3人の女の子を持つ自主母子避難の母です。
 先日の宇都宮大学の清水先生のお話を聞き、帰郷を決めた事で直面した事を同じような避難している方々や福島原発に関心を持ってくれている方々に伝えようと思い、手記を書く事にしました。
 まず最初に戻りたいと思ったきっかけは、避難当時2ヶ月であった三女が2歳3ヶ月になり、私自身、二重生活の経済的負担と、社会復帰をする事で精神的不安をなくしたかったので、那須塩原の保育園への入所を考え、役場へ行ったのですが、住所は福島県のままでいたため、自主避難している私たちは、煩雑な手続きが必要でありかつ、保育園入所まで早くて期間は2~3ヶ月かかるであろうとの事で、自分の中でもうダメだ。こんなんじゃやっていけない。さらに不安は、体調面にも出てきて、子どもの世話だけで、何もできなくなるほど、動けなくなってしまいました。
母親として子供の前で動けなくなる事に、何度、情けない、ダメな親だ。自分を罵り、でも3人の我が子を残して自分が逃げるような事があってはならないと必死に、体を動かし、不安を忘れようと、親業にしがみついてました。それが今年の3月です。本年度は、主人が、お金は何とかするから、「那須にいろ。」と一点張りで、子供のことを思っての避難でしたが、私自身が、一人で何か心配があってもすぐ困った時に相談できる人間関係を作れていなかった事が、一人で知り合いのない地域に何も言えず生活していたと後ろ向きの考えになってしまった原因であったと思います。
 たぶんこんな時、父親である主人に、何気ない事も会話をしていれば良かったのですがお互いに、一人で地域の付き合いから今までやらなかった家事をこなしながら、仕事へ行く事で手一杯、とても、話をしても、会話どころか、お互い疲れきっていて、すぐにつまらない事で争うようになり次第に、理解されないだろうからもう話したくない。避難で起こる、閉塞感や孤独感さえも、避難できてない人に比べれば、文句を言う方が、おかしい。私さえ黙っていれば、それで、子供達が少しでも健康でいられる。そう言い聞かせてました。
そんな時、小3年の長女が、「もとに小学校へ行きたい。」ポツリと言ったのです。
○○で友達がいなかったわけではないのですが、
「何時になったら帰れるの?私の入るはずだった小学校に、幼稚園の友達はいるのに、何時まで我慢するの」
子供なりに、孤独だったのに、気づいていながら黙殺していた自分が、大人の都合で、突然居場所が変わり、子供の為と言いながら、子供と向き合ってなかったのがとても、切なくて悲しくて、やりきれませんでした。
 なんとかしなくては、と思い、主人に福島へ帰りたい事と、母子避難が、精神的に苦しい事があるし、元の場所へ帰れないという決定的な諦めがなくて、那須へい続けるのは、もう無理と話しました。
夫の返事は、「ただ、除染が終わってなくて、もう少しで順番が回ってくるから、自宅除染が終わってからくれば?」何か素気ない感じがしました。家族の絆が別居しているだけで、こんなに遠いものなのか、心の距離まで遠く感じて、母である事より、夫婦でいる事さえも、原発事故が、きっかけで壊れかけて不安になりました。
 程なく、自宅の除染に、土木会社が、見積もりを出し、計画書を見たのですが素人には良くわからず、とりあえず表土をはぎ、土を入れ変える事は理解しました。作業は4日間自宅に日中は人がいない為、近くの親戚に、細かい希望を作業員に伝えてほしいと、お願いしました。除染後、自宅へ帰ってみたら、草1本もない、きれいな庭になっていて、玄関前のコンクリートも洗浄されていました。砂利道もしかれて立派なのですが、そこにある古い住宅が、とても不自然に見えました。
 作業の立会いになってくれた親戚が、自宅の裏手が、雨がふると排水ができなくて、沼のようになる。その水位の後がくっきり残っていたのです。私は、自宅に水が入ってきて築140年の土台は、地震で傾いたままで、石の上に木造宅が乗っている。いつか、土台が腐るのではと、心配でしかたないのですが、家族が立ち合ってないのと、やり直しの為に工事費がかかるのが、主人は、納得いかず。除染のせいで、地盤が雨の度にぬかるみ、裏手の山の崩落さえも起こり兼ねない結果になりました。莫大な、除染に対する予算もこれではもったいないし、市町村によって、除染範囲が、自宅中心に10メートルだったり、田村市では、自宅中心に20メートルで木の伐採も含む広範囲とだいぶ違いがあり、不公平を感じるのです。

 そして、社会復帰の最大の条件である、保育園は年度途中の為入所ができず、待機児童になりそうで、話によると、保育士が足りず原発避難の町の児童も受け入れて人数が、目一杯な上に、施設を増やす予定もないとの事でいた。元々、保育園が、足りなかったのは充分知っていたつもりでしたが、私の地域は人数の少ない保育園だったから、空きはあるだろうと思っていましたが、保育士を仮設住宅近くの保育園へ多く配置するので、小規模な園は保育士を減らされてます。市で保育士を募集していると聞き、なんとなく求人票を見たら、臨時職員となっているのです。これでは、保育士は集まりません。保育園の入所問題は、生活に不安な状態の避難している人々と受け入れた自治体の住民の軋轢が出てくる原因になると私は思うのです。

 震災から2年4ヵ月が経ち、避難している人に対する想いが変化してきている時期に入っていると感じてます。
 福島県内外でも、社会保障や社会福祉や医療の格差で不満が出ていると聞きました。私も幾度となく何故違うのかとがっかりした事がありました。同じ福島県民なのに・・・。
 その中で福島へ戻る事が、一番自分達家族が悲しい思いをしないで済むと考えたのですが、放射能以外の心配や不安が、あまりにも多いのです。
 戻った所で受け入れ先が整っているわけではなく、自己責任で決めなくてはいけない事が多いのです。大人でさえ、不安なのに、転校をする子供達の心はどれだけ辛いでしょうか?心配は尽きないのですが、今よりも、状況がよくなるであろうという希望だけが、唯一の救いです。けっして安全ではないし、今までと同じように田畑で作った作物を子供達の口へ入れてやる事ができないのですが、それでも、主人の仕事や地元の付き合いや、田畑がある限り、やはり、戻るしか選択は、ありませんでした。

 私は、ただ普通に当たり前の生活がしたいのです。子供達が何の心配もなく学校へ行けて、夫婦が一緒に過ごせて、家族や知人が時々訪ねて来て、自分の田畑で作った野菜をほおばりたい。それだけなのに、諦めないで頑張る選択は、福島では、とてもとても、叶わない望みになってしまったと思います。
「さすけねえべ、さすけない」
私は、心の底から大丈夫なんて言えません。原発被災は、納得のいかない被災と私は断言してます。家も田畑もそっくり残っていたのに、土地から追いやられ、時が経つにつれて荒れて行く住処を見て歯ぎしりを立てながら涙がこぼれるのです。2年も耕作していない田んぼは、あぜ道は、もぐらで穴だらけ、水路は猪の水浴び場になり、1メートル以上の草で覆われ、かつての美しかった里山風景が荒地になってます。何年かけてでも、元に戻すとなると気力体力時間資材全て、足りないと悲しくなってしまいます。
 
しかし嘆き悲しむことを当事者なら皆思ってます。私達は、生きていく為に働かなくてはいけないのです。何とかしてなくてはいけないのです。子供の為、地域の為、自分の為に働かなくてはいけないのだと覚悟を決めて戻るのです。その術を今、模索してます。

 補償ありきの被災者ではなく、知恵をしぼって受けた補償を大切に使うことが大事です。

私は、訪問支援の方々に自分立場や話に共感してもらえたことで、何をやらなくちゃいけないか、何回も自己確認が客観的に出来たし、本当に感謝してます。話す事で、何が必要かわかってきたのです。
 自立へ向けて何が今必要か?福島へ戻る家族の絆のもちろんですが、困らないように社会福祉や就業や就学支援や、お母さんが、一人で全て抱えて悩まないように、避難先で手続きをまとめたリストなり相談窓口を、設置してあったら助かると思います。それぞれ避難元の役場によって違うと思いますが、身動きがとれる元気なお母さんばかりじゃない。色々な人がいるので、せめて、帰郷後の社会復帰支援の窓口をもちろん保育園入園も込みで支援してほしいです。戻る選択をした人々をきちんと受け入れてほしいです。
 「ただいま、大好きな福島へ帰ってきたよ」と笑顔でこれから帰郷したいです。何の心配のないわけないけど、せめて普通に自宅での生活再建をしたいです。
 私の思う所を文にしましたが、もっと大変な人々もいると思います。だから、それぞれできる生活を一生懸命、迷いながらでもかまわないから送ってほしいし、私自身そうでありたいと願ってます。

2013年7月17日

お手紙への反響~東京外国語大学展示より

7月8日から19日の2週間行われた東京外国語大学でのお手紙の展示紹介に、多くの方からコメントを頂きましたので、ご紹介いたします。活動報告はこちらまで→http://tegamifukushima.blog.fc2.com/blog-entry-32.html


子供を守りながら、夫を思いながら、必死に毎日を生きるお母さんたちの姿に勇気をもらいました。頼るべき人も周りにいない避難生活の中で戦っているお母さんたちのことを、日本中のもっと多くの人に知ってほしいと思います。
(外国語学部4年・英語専攻)

震災が起きてから、東北の人々の生活が完全に変わってしまったこと、子どもたちが負った心の傷など、私がテレビや新聞で見る以上に大きいものだと気づきました。きっと完全に癒えることはできないかもしれないが、微々たる力でも私にできることがあれば何かしたいと思いました。
被災者であるということで負い目を感じたり、肩身が狭く感じて、自分を追い詰めてほしくないしより多くの人(他県の人)にも、もっと声をあげてほしいと強く感じました。
(外国語学部3年・フィリピン語専攻)

東北での地震は私達の中では、もう終わったことのように感じていました。しかし今回お手紙を読ませていただき、まだ終わっていないということを感じました。何ができるかといわれるとわかりませんが、まず、自分の今の現状に感謝し、一生懸命生きていこうと思いました。すばらしい生きがいを与えてくださり、ありがとうございました。
(言語文化学部1年)

震災が起こった当時三重県にいた私はテレビで見る光景が、現実のものであるとなかなか信じられなかった。私の生活は震災が起こったことで、何か変化するようなこともなく、普通通りであったので、正直に言って、報道される様々な悲惨な状況に同情するものの、無関心であったと思う。
展示された、被災された方々や福島の方の手紙を読んで、そんな自分を心から恥じた。手紙から、母親が亡くなり夫とも離れ一人で子育てをしていけなくてはならないお母さんの不安や、福島から避難してきて差別されるかもしれないと心配する方の気持ちがひしひしと伝わってきた。震災から2年経って、震災のことを忘れ始めているような風潮の中で、まだこんなにも苦しんでいる人がいるということを忘れてはいけないと思った。
毎日の生活に追われて東北の人たちのためのボランティア活動に参加していない私は、少なくとも、この苦しんでいる人たちのことを忘れてはいけないと思った。
(英語専攻1年)

原発のことを避難している方々・避難したくてもできない方々のことも、何も考えず忘れたまま暮らしていたとしても犯罪にはならない。だからといって何もかも、3・11さえなかったように暮らしていたこと、その間に原発再稼働申請や日仏政府の協力宣言など信じられないことが進んでしまったこと、せめて私を含む日本人全員が「原発なんてありえない」という雰囲気を作り続けていたらもう少しましになっていたんじゃないかと思ったこと、申し訳なく思います。
日に干したふとんのにおい、家庭菜園、「外で遊んでいなさい」と子供に叫んだことが懐かしいと書いていらした方のお手紙を読んでそんな当たり前のことを今までずっと暮らしていた場所でできなくなったらどんなにやりきれない気持ちになるだろうと思いました。わずかにでもできることを。「今でも安心して住めない方がいる」「原発再稼働なんてありえないよね」私を含む国民・住民のみんあがこの意見を共有できるようになりたい。
(卒業生)

原発事故や原発問題そのものに強い興味が今まであり、自分は反対という立場で行動を選んできたつもりでした。官邸前のデモにも行き、できることをできるだけやろうと思っていました。しかし福島の方や被災地の方の“手紙”という生の声をこのように聞くことは今までなかったので、すごく心に響きました。これからの自分の行動をもっともっとちゃんと選ばなきゃいけないということと、福島の悲しみは自分の悲しみでもあるということを忘れないでいたいです。
(外国語学部3年・ラオス語専攻)

東京にいると、震災があったことを、忘れそうになってしまいます。今日、手紙を読んで、3・11があった時の恐怖を思い出しました。直接被害を受けていない私たちにとってまず大切なのは、3・11がまだ終わっていない、過去のことでもないとしっかり理解することですね。行き場のない怒りや不安を、私達が少しでも取り除くお手伝いができればな、と思いました。
(国際社会学部1年)

今もなお震災やそれに関連して生じた原発事故に苦しんでいる人がいることはわかっていましたが、具体的にどんな苦しみなのか、知ろうとすることも想像することもありませんでした。そんな風にして今までの自分の生活を変えずにいたことを反省させられました。私にできることなんて何もない、大したことはできない、と思っていましたが、そんな私でも苦しみを知り、伝えることぐらいできるはずだ、と気づかされました。
(外国語学部4年・中国語専攻)

クローバーさんへ
夫と離れ離れの場所で成長していく子ども達に対する責任感、また不安が痛いほどに伝わってきました。そのような状況で頑張っていらっしゃる方に学生がかけられる言葉、できることなど何もないのかもしれませんが、クローバーさんのお手紙を読んで心が動かされた人間がいることを忘れないでください。
遠い場所からですが、クローバーさんとお子さん、そしてご主人の健康を願っています。
(不明)

お手紙の展示紹介@東京外国語大学〈活動報告〉

7月8日から19日にかけて行われた東京外国語大学でのお手紙の展示紹介が無事終了しました。以下、活動の報告です。


こんにちは。東京外国語大学 東北復興支援隊の田邉と申します。
当団体は、2011年3月より宮城県石巻市にて、子どもたちの学習支援を中心としたボランティア活動をしております。

去る7月8日から19日までの二週間、東京外国語大学キャンパスにて、FnnnPと東北復興支援隊との共同展示を行いました。「今あなたに伝えたい」をテーマに原発事故で被災した方々がお寄せくださったお手紙の一部を、展示させていただきました。

展示期間中は、沢山の人が足を止めてお手紙を読んで下さり、コメントも多く寄せられました。

以下にそのコメントの一部をご紹介いたします。

***

子供を守りながら、夫を思いながら、必死に毎日を生きるお母さんたちの姿に勇気をもらいました。頼るべき人も周りにいない避難生活の中で戦っているお母さんたちのことを、日本中のもっと多くの人に知ってほしいと思います。
(外国語学部4年・英語専攻)

震災が起きてから、東北の人々の生活が完全に変わってしまったこと、子どもたちが負った心の傷など、私がテレビや新聞で見る以上に大きいものだと気づきました。きっと完全に癒えることはできないかもしれないが、微々たる力でも私にできることがあれば何かしたいと思いました。
被災者であるということで負い目を感じたり、肩身が狭く感じて、自分を追い詰めてほしくないしより多くの人(他県の人)にも、もっと声をあげてほしいと強く感じました。
(外国語学部3年・フィリピン語専攻)

東北での地震は私達の中では、もう終わったことのように感じていました。しかし今回お手紙を読ませていただき、まだ終わっていないということを感じました。何ができるかといわれるとわかりませんが、まず、自分の今の現状に感謝し、一生懸命生きていこうと思いました。すばらしい生きがいを与えてくださり、ありがとうございました。
(言語文化学部1年)

震災が起こった当時三重県にいた私はテレビで見る光景が、現実のものであるとなかなか信じられなかった。私の生活は震災が起こったことで、何か変化するようなこともなく、普通通りであったので、正直に言って、報道される様々な悲惨な状況に同情するものの、無関心であったと思う。
展示された、被災された方々や福島の方の手紙を読んで、そんな自分を心から恥じた。手紙から、母親が亡くなり夫とも離れ一人で子育てをしていけなくてはならないお母さんの不安や、福島から避難してきて差別されるかもしれないと心配する方の気持ちがひしひしと伝わってきた。震災から2年経って、震災のことを忘れ始めているような風潮の中で、まだこんなにも苦しんでいる人がいるということを忘れてはいけないと思った。
毎日の生活に追われて東北の人たちのためのボランティア活動に参加していない私は、少なくとも、この苦しんでいる人たちのことを忘れてはいけないと思った。
(英語専攻1年)

原発のことを避難している方々・避難したくてもできない方々のことも、何も考えず忘れたまま暮らしていたとしても犯罪にはならない。だからといって何もかも、3・11さえなかったように暮らしていたこと、その間に原発再稼働申請や日仏政府の協力宣言など信じられないことが進んでしまったこと、せめて私を含む日本人全員が「原発なんてありえない」という雰囲気を作り続けていたらもう少しましになっていたんじゃないかと思ったこと、申し訳なく思います。
日に干したふとんのにおい、家庭菜園、「外で遊んでいなさい」と子供に叫んだことが懐かしいと書いていらした方のお手紙を読んでそんな当たり前のことを今までずっと暮らしていた場所でできなくなったらどんなにやりきれない気持ちになるだろうと思いました。わずかにでもできることを。「今でも安心して住めない方がいる」「原発再稼働なんてありえないよね」私を含む国民・住民のみんあがこの意見を共有できるようになりたい。
(卒業生)

原発事故や原発問題そのものに強い興味が今まであり、自分は反対という立場で行動を選んできたつもりでした。官邸前のデモにも行き、できることをできるだけやろうと思っていました。しかし福島の方や被災地の方の“手紙”という生の声をこのように聞くことは今までなかったので、すごく心に響きました。これからの自分の行動をもっともっとちゃんと選ばなきゃいけないということと、福島の悲しみは自分の悲しみでもあるということを忘れないでいたいです。
(外国語学部3年・ラオス語専攻)

東京にいると、震災があったことを、忘れそうになってしまいます。今日、手紙を読んで、3・11があった時の恐怖を思い出しました。直接被害を受けていない私たちにとってまず大切なのは、3・11がまだ終わっていない、過去のことでもないとしっかり理解することですね。行き場のない怒りや不安を、私達が少しでも取り除くお手伝いができればな、と思いました。
(国際社会学部1年)

今もなお震災やそれに関連して生じた原発事故に苦しんでいる人がいることはわかっていましたが、具体的にどんな苦しみなのか、知ろうとすることも想像することもありませんでした。そんな風にして今までの自分の生活を変えずにいたことを反省させられました。私にできることなんて何もない、大したことはできない、と思っていましたが、そんな私でも苦しみを知り、伝えることぐらいできるはずだ、と気づかされました。
(外国語学部4年・中国語専攻)

クローバーさんへ
夫と離れ離れの場所で成長していく子ども達に対する責任感、また不安が痛いほどに伝わってきました。そのような状況で頑張っていらっしゃる方に学生がかけられる言葉、できることなど何もないのかもしれませんが、クローバーさんのお手紙を読んで心が動かされた人間がいることを忘れないでください。
遠い場所からですが、クローバーさんとお子さん、そしてご主人の健康を願っています。
(不明)

***

今回の機会は、私達自身にとっても、今後の活動のあり方を再考する貴重な機会となりました。

依然として大変な暮らしを強いられる福島原発事故の被災者の方々のことを、今後もより多くの人に伝えていきたいと思います。

自らの体験をお手紙に綴ってくださった方々に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

↓展示準備の様子
外大展示準備写真

↓展示の様子
外大展示写真

お手紙を読む会@所沢市立泉小学校「いずみまつり」〈活動報告〉

7月20日に所沢市立泉小学校で開催された「いずみまつり」でのお手紙の配布が、無事に行われました。以下、活動の報告です。



フクシマのお母さんたちのお手紙を父兄や地域の方へお配りすることが出来ました。

また、都内から福岡へ避難されたフォトグラファーの亀山ののこさんの「100人の母たち」母と子の写真展を小規模ですが開催しました。福島から避難されたママたちの写真&メッセージです。

掲示した写真をじっと見つめるお父さん、会話するご夫婦の姿をみることが出来ました。資料も家に帰ってから読んで下さっていると思います。

意識の差があるなかですが役員の仲間と協力して進めてこれたこと、こうした種蒔きのお手伝いが出来ましたこと、とても嬉しい気持ちです。

これに終らず、次の企画も考えています。
地元の様々な会の方々へ協力を呼びかけ、フクシマのお母さんたちの声を伝えていきます。

↓「100人の母たち」母と子の写真展の様子
「いずみまつり」100人の母たち写真

お手紙を読む会@所沢市立泉小学校「いずみまつり」

所沢市立泉小学校の保護者主催イベント「いずみまつり」で、子ども、保護者、近隣来場者の方々にお手紙の印刷物が配布されます。
ママたちの発案により実行されることになりました!ご尽力ありがとうございます。

日時:2013年7月20日(土)12:00~15:00
会場:所沢市立泉小学校 所沢市山口657
アクセス:西武池袋線西所沢駅徒歩10分

プロフィール

FnnnP事務局

Author:FnnnP事務局
福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト(FnnnP)では、原発事故後、小さな子どもを抱えるご家族を中心に、福島県からの保養・避難のサポートや実態調査を行ってきました。同様に、 福島県内の子育て団体と協力し、実態調査を行い、明らかになったニーズに対応してきました。
(公式ブログ:http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/)

※なお、お手紙の掲載にあたりましては、ご本人の了承を得て事務局より連絡し、掲載の最終確認を頂いたお手紙のみを掲載しています。また、お名前や居住地等もご希望に沿い、修正や削除の希望がない限り原文通り(誤字等も含む)、全文を記載しています。

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