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タイトルなし

いわき大好きママさん(県内在住)
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福島に帰ってきた日、
夫は「俺のせいで、いわきに帰ることになってごめん 俺がいわきで仕事することにならなければ、 ママや子供たちが被曝することもなかった。これからも。。」と涙ながらに語ってくれました。

夫はいわきに帰ってきてほしくないけど、妻や子供たちの綱渡りの生活をみて、 これ以上は、無理だと思ったようです。

なぜ泣くのだろうとおもいましたが、落ち着いてから、いろいろ調べているうちに私と夫に知識の差が大きかったことがわかりました。 夫からは、ちゃんと調べろといわれたけど、私は毎日の生活が手一杯で、ネットもなかったし、あんまりにも意見が合わないから、離婚も考えたことがあります。

テレビや新聞の情報だけがたよりで、放射能のことをほとんど調べませんでした。夫は、いわきにいたから、口内炎がよくできたり、異常性を肌でかんじていたようです。 子供や私に下痢が多かったですが、いわきに帰りたくて、避難のストレスだと思っいたかった。最近、本当はどうなのだろうと思うようになりました。

2011年12月に東京でホールボディーカウンターを受けたら、二人の娘からセシウムが検出され、一人は定期検査をすすめられました。なぜ、定期検査を勧められている娘をいわきに返さなければいけないのか?

当時、いわき放射能市民測定室がやっと立ち上がり、有料で、意識の高く、時間的、金銭的に余裕のあるほんの一部の人しか検査できませんでした。ほとんどの人が初期被曝の事実を知らないところで、年間100ミリシーベルトでも大丈夫と言っている、県内の医療機関を束ねる県立医大の元にあらゆる対策が取られているところで子供たちを守るのは、とても大きな流れに逆らうこと。とても勇気がいるし、子供たちを孤立させてしまう。
なぜ、こどもを放射能から守ることが難しいところにわざわざ帰らなければいけないのか?

私もそうだったように、国や県の言うことをきいて、穏やかに前向きに生きようとしている人達にとっては、耳をふさぎたくなることだろうな。大きなお世話だ。私は、福島に帰ったら、口をつぐむしかないと考えていました。

納得いかなかったが、帰るしかありませんでした。 被曝より、パパと一緒にいることを選んだんだ。 家族の時間が増えることで、家庭に笑いが増え、免疫力があがることを祈るしかなかった。

ここ(東京)に居たくない、福島に帰りたい、パパと一緒に暮らしたいと叫ぶ、子供たちの気持ち。 家族がバラバラというのは、不安定です。子供たちは倍以上病気になりました。 夫も休みを取り、毎週のように東京にきていて、疲れていました。仕事のミスも増えました。

運よく私に仕事が見つかっても、毎日のように続く病院通いでほとんど収入にはなりませんでした。 高速道路も有料になるし、これ以上の出費はきつい。 保育園は新年度から、一般区民と同様に審査され、選考に落ちたから入れない。 もう無理だな。 「どうして私たちがこんな思いをしなければいけないのだろう。地震と津波だけだったら、ここにはいないのに」と何度も自問自答しました。体がむしばまれる前に、心がむしばまれると思った。

私達をみんなは好意的に迎えてくれて、ありがたかったです。

いわきに帰ってきて1月たったころから、眠れなくなりました。 人と話すと涙が止まらない。頭が重く、全身が痛く、体が動かない。 家事と子育てもままならなく、部屋を暗くし、ほとんど横になるしかありませんでした。 そんな生活が1年続いていました。

避難している人も、避難から戻ってくる人も、同じような症状を訴えている人いました。。
残ることを選んだ人も、めまいなどを訴えていました。

幼稚園や小学校では、インフルエンザや感染性胃腸炎などがはやり、行事ができなくなった。 震災前は、こんなに大流行することがあっただろうか。 放射能により、免疫力が低下したからではないか。そう疑うこともある。 風邪をひいただけでも、ここにいることがいいことなのか、自分を責めてしまう。

福島県の健康調査には、甲状腺癌しかとりあげていないが、 べラルーシのように年に2度、大人も含め、血液、尿、目、内科、内部被曝検査、加えて心も調査対象にしてほしい。県の健康調査は安心を与えるもので、予防的な要素がない。

鼻から、放射能の可能性を否定している。ホールボディーカウンタも入っていない。カウントされないから、因果関係を説明できないのではないか。

甲状腺癌は治せる病気だというけれど、3才で甲状腺癌を発症した少女は、治療の副作用で、妊娠できなくなり、恋愛、結婚、出産ができないと、希望を持てず、18歳になって、鬱になって、カウンセリングがかかせないそうです。

体の病気だけでなく、心への影響も考えてほしい。

放射能の心理的ストレスによる体調不良と呼ばれているものも、 放射能がそこにあるのが原因である以上、ちゃんと健康被害とみとめてほしい。

どうして、個人の問題にされてしまうのだろう。 放射能は「目に見えない被害」をここにももたらした。

いわきは県内では、放射線量は低いといわれてしまう。 しかし、事故当初、最大のヨウ素が降ったのはいわきです。(『NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 空白の初期被ばく』より )最大のヨウ素が検出された児童もいわきの子です。 でも、半減期が短いので、その証拠が放射線マップには残らない。 これから、症状が出た場合、どうやって証明したらいいのか。 いわきと同じように初期被ばくを経験し、同じような低線量汚染地帯のベラルーシでは、 今でも、保養や年に2度の多項目にわたる健康診断を国費で実施し、それでも、健康被害はでているというのに。

そして、避難すること、とどまること、それぞれの苦渋の選択の支援も先細っていくのだろうか。

長崎、広島の原爆被害者は、被爆者であることを隠していたという。 仕事、恋愛、結婚、出産、さまざまなことで差別をうけるから。
私も、娘がホールボディーカウンターで数値が出たことを言い出しにくい。いわきの人の多くは、検査が遅れたため、数値がでない。私の娘は「被爆者」で、検査が遅れた人は「被曝していない」となるのだろうか。

ほとんどの人が初期被ばく、恒常的な内部被ばくの事実を知らない中で、今の空間線量だけをとって、もう安心だと普通に暮らしている(暮らしたいのだろう)。私は、数値を持ってしまい、隠し事をしているような後ろめたさがある。

避難できたので、大量被曝を抑えられている。でも、残らざるえなかった人は、それを知ったらどう思うだろう。教えてあげたほうがいいのかな、波風たてないほうがいいかな、そんなことを考えていると、人と話すのが億劫になった。

保護者から声をあげてと言われても、放射能を気にする、しない、電力関係、農業、漁業、庭で育てたものを食べるのを生き甲斐にする、避難していた、避難していない、ここに避難している家庭など、状況が違うから、おおっぴらには話せない。

初期被ばくの事実、低線量被曝の可能性があるとするか、ないとするかでは、危機感がまるで違う。

福島に住むことを決めざるえない以上、お互いに不快な思い、不安な思いをさせたくない。

匿名の自由記述のアンケートを学校がとってほしい。こんなに人間関係を複雑にさせといて、これも被害にならないのかな。

福島の人が多く受けている放射能講座は、ほとんど放射能は安心だというもの。放射線の影響で、細胞分裂しやすい組織でのガンのことを語り(修復されるから問題ない)、ほとんど細胞分裂しない組織のことは語られていない(修復に時間のかかるので、修復される前に細胞が壊れてしまう)こと。

長崎や広島では、事故後5年たって、ほとんどの人が亡くってから、生き延びている人に対して健康調査している。

チェルノブイリでも、IAEAから助成がでて、出生前診断が無料で行われ(日本では25万円かかる)、先天性異常がわかったら堕胎費用もでるという。このように、データ自体、隠ぺいされた形跡があり、データと扱っていいのかもわからないのに、これで安心だといわれても、納得がいかない。

いわきは「安心」で無策となるのだろか。

この福島県の状況を人権侵害と言ってくれる人は近くにいない。法律家、市民活動団体がもともと少ない。何もできないママでごめんね。

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アラオさん(県外在住)
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私は2011年の3月15日に福島市をでて4月に緑町にきました。当時3歳と1歳のこどもを連れて第三子を妊娠3カ月でした。無事に8月に出産することができましたが、右も左もわからない状態でネットだけが頼りでした。ネットでの情報をつかむことができ、支えてくださる方と巡り会え本当に生かされていると実感しています。正直生きるか死ぬかの瀬戸際でした。

福島市は避難区域外で戻れるでしょう。という声をなんどか耳にしました。
福島市に残る友達のこどもの保育園は、未だにそと遊びが10分です。
従姉妹のこどもが幼稚園に入学しましたが、選んだのは放射能対策をしっかりしていて気をつけている幼稚園だからです。
年の離れた妹の中学校は昨年プールの汚染がひどくバスを借りて屋内のプールにいっています。
今年も郡山はすでに屋内プールを経営している会社と提携し、こども達がいつでも入れるようにしたと新聞でみました。
除線も順番が回ってこない実家の通学路はお母さん達が除線しています。
いくらも貰えず。
このような光景は異常ではないでしょうか。。
ただただ、普通に生活したいんです。それすら出来ないんです。

世の中はもう2年経ちました。でも私達は1日たりとも進んでいないんです。

まだまだ苦しんでいる人が沢山、沢山いることを忘れないでほしいです。

福島を助けてください。


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本当は福島が好きさん(県外在住)
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私は、現在小学3年生と5年生の子供を持つ母親です。震災当時は福島市のマイホームに住んでいました。(新築で2004年に建てました。)私の実家は双葉郡富岡町にあります。母と弟家族が町内にそれぞれの家を持ち生活していました。震災後、母と弟家族合計5人が強制避難となり、我が家にやってきました。当時福島市は断水で、水も十分に確保できず、食料品やガソリンのない中での集団生活は、食事やトイレのやりくりが必死な毎日でした。時折 目にする原発のニュースはとてつもないことが起きているという危機感が心に広がり、今も忘れはしない、三号機が爆発した翌日の3月16日になって生命の恐怖感が湧いてきました。
それまで放射能について全く考えたことはありませんでした。
放射能で亡くなる時は、どんな苦しみなのだろうと想像し身震いしました。
しかし、高齢の母の長距離の移動や道路事情、ガソリン確保ができないなど、避難のリスクを鑑み、避難しないことを決めました。当時は、放射能についても不安を煽ると言うよりは、「放射能の数値は問題ない、落ち着いて行動して下さい」と言う報道のされ方だったと思います。当時は、「国を信じる」。そう、本気で思っていました。
しかし、その後、ネットで今までの原子力行政のあり方、原発作業労働者の問題、このような事故が必ず起きると戦ってこられた方の軌跡を知ることとなり、愕然とすることが多くなりました。それまでに日本社会で隠されてきたことが、目に見える形で、膿が浮かび上がった、そんな印象を受けました。

それ以降は、日々、ネットで知る真実と現実に起きている政治や社会の乖離にとても苦しむようになりました。安心だ、と自分に何度、言い聞かせても何度拭っても、ありふれた日常空間が、どこか違う空間に思えてならないのです。
放射能への恐怖感も口に出すことはできず、出したとしても家族の中でさえ異常者扱いされ、友人にも、さぐるように言葉を選ぶ日々。
数値として現存する放射能のストレスも心に大きなストレスを与え続けました。我が家に避難していた母を長期間、受入れをしていました。

震災前は 離れて暮す母親に優しい言葉をかけていました。しかし、そんな大好きな母親に優しい言葉をかける心の余裕が全くなくなり、メソメソする母を追い込むような暴言を浴びせるようになりました。

母は足腰が悪いうえ、震災前は毎日、接骨院に通院し、自宅のマッサージ機をかけて、体を維持していたため、一気に衰え始め、母は母で思うように体が利かないことで苦しんでいました。一番の当事者で私よりも苦しんでいるのに、つい、イライラをぶつけてしまうのです。
原発に追い込められた身内同士が、お互いを傷つけあう、そんな悪循環のポケットに陥る日々でした。
これこそが、放射能の悪魔性だと思います。
人間の五感では全く感知できないのに、線量計の数値は我が家の2階のベランダで5マイクロ以上を示しています。
長期間この状況で生活すれば確実に人体に影響がある数値です。
この不気味さと恐怖が人の心を追い込むのです。

当時は、放射能を怖い、ということさえはばかれる風潮でした。戦争時下の日常というのも、本当の心を押し殺し、表向き体制に賛成することが求められる風潮だったのだろうと思いがかけめぐりました。
自分の心に正直に生きる道を選択しましたが、強い覚悟が必要でした。
避難によるリスクさえ、覚悟せねばならず、失敗しても事故が起きても、全てが自己責任と言い聞かせました。自分の直感だけを頼りに生き抜いていくしかない、と切羽詰まっていました。

何年も培ってやっと気心が知れた近所のママ友をおいて、後ろめたさを感じながら、ただただ、こうすることでしか、我が子を守れない。きっとわかってくれるはず、自分に言い聞かせ避難してきました。引っ越しさえすれば・・・・避難することしか頭になく、引っ越してきてからは、方向音痴もあり、最低限の買い物場所さえとまどい 容易ではありませんでした。
もし、子供が学校に行くのが嫌だと言ったらどうしよう、急に夜、病気になったらどうすれば良いのだろう・・・・ふっと湧き上がる不安に心が沈没しそうになりました。
地域情報や行政サービスも自分で獲得しなければならず、でも、住民票がないゆえの片身の狭さ。知りたい情報をどう入手して良いのかわからない、歯がゆさ。
新しい土地での生活も大変でした。

先週、母の一時帰宅に同行しました。私にとっては2年ぶりの訪問です。

私の愛するのどかで優しい温かな町は死んでいました。
道路もそれぞれの家も補修もされずに、痛んでいました。
警戒区域が解除されても、人もおらず、ひっそりとしていました。
実家に到着しました。
敷地900坪、家60坪の大きな家です。
目の前は一面の広大な田園風景が広がり開放感にひたれる自慢の実家です。

母は几帳面な人でいつも畑や庭は手入れされていました。それが、畑は一面草がはびこり荒れ放題、庭にも巨大なたんぽぽや、どくだみ、クローバーなど雑草が土の表面を全て覆いつくしていました。牛が勝手口付近にきて荒らした形跡がありゴミ箱は倒れ、糞が干からびて何枚もありました。
家の中に入ると、壁や柱の下の部分の欠け・ひびがだんだん、広がり、ねずみがかじった木屑、柱の傷があちこちで目に入りました。大切な着物の上にねずみの糞が大量にありました。2年前よりも損傷がひどくなっていました。

母は一時帰宅を何度も重ねて、家の片付けをしていましたが、それでも、震災前と全く違った表情の実家でした。
ねずみの糞を箒ではくために、コタツの布団をテーブルの上に上げました。なつかしいぬくもりが蘇ってきました。正月、ゴールデンウイーク、お盆など毎月、毎年、私は何度、この食卓で美味しいご飯を頂いてきたことか。母は料理が上手で、どれほど母の手作りご馳走に癒されてきたことか。避難中の母は料理をする気にならないと、良く言います。

過去が蘇りとてもせつなくなりました。
避難準備区域で線量は低いとされている地域だが、私の積算計は2時間で11マイクロシーベルトになっていました。
最後に一緒にお墓に行きました。母は夫や義父母に何か語りかけていました。
震災前まで私は母の涙を一度もみたことがありませんでした。しかし、震災後、何度も母の涙に遭遇しています。母は私の前で泣き崩れることもあります。
母の日常を思うと、帰してあげたくなる、身を粉にしてでも手伝って家の掃除をしてあげたい。
でも、被曝が原因で将来、私に健康被害が起きたら、母も悲しむだろうし、子供のためにも私は元気でいたい。
私も、どうしていいのか、わからない。
母の人生をかけて紡ぎだした日常を取り戻すには、どうしたら良いのか誰か教えて欲しい。
こんなに、苦しんでいるのが、我が家ばかりでないこと。
どの家庭も家族も同様に苦しんでいることを思ったとき、なぜ、こういう大事なことを、世に報道しないのか。
この事故が、苦しみが、なかったことのように片隅においやられ、原発再稼動や原発輸出と言っている。

「この国は絶対に間違っている」

実際に行って感じる確かな思いである。
一時帰宅をして、湧き上がった確信である。

なぜ、苦しむ家庭に寄り添わないのだ。
なぜ、避難者の心を聞かないのだ。
なぜ、反省と検証をしないのだ。
こんな状態で日本の未来が明るいとは決して思わない。
私の故郷を返して欲しい。 

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クローバーさん(県外在住)
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お母さん
あの日、お別れしてから頑張ってきたつもりです。子供たちを立派に育てるから、安心してね。この約束を守り続けるために頑張ってきたつもりです。あれから、3人目に女の子が産まれました。ピンクが好きなかわいい娘です。

あの日から、しばらくたって、ふくしまでの事故。子供を連れて避難生活を送っています。旦那は福島で私たちのために働いてくれています。元気に立派に育てるはずの命が、本当に守りきれるのか不安になります。頑張るパパを一人で生活させていることに気がひけます。

お母さん
私は本当に家族を守れているでしょうか。子供たちは無事に大人になるでしょうか。

夢でもいいから、出てきてください。何を信じて、どうすればいいか。大先輩のお母さん。教えてください。


タイトルなし

ゆきさん(県内在住)
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3.11に思う。
クリスマスの残りのろうそく。子どもたちが恐がらないように、台所や玄関にもろうそくを灯した。

昨日、寝る時間が遅くなった子ども達は、7時を前に夢の中。オレンジ色のあたたかなろうそくの灯りを感じる。今日の黙祷の時、悲しみが全身を通り抜けた。感覚があるのは、生きている証拠。生きている今を感じた。原発事故を受けて、いろいろな思いがあった。けれど、今も私は生きている。
みんなと繋がり支えあい、子どもを守り、育てていきたい。


プロフィール

FnnnP事務局

Author:FnnnP事務局
福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト(FnnnP)では、原発事故後、小さな子どもを抱えるご家族を中心に、福島県からの保養・避難のサポートや実態調査を行ってきました。同様に、 福島県内の子育て団体と協力し、実態調査を行い、明らかになったニーズに対応してきました。
(公式ブログ:http://fukushimaneeds.blog50.fc2.com/)

※なお、お手紙の掲載にあたりましては、ご本人の了承を得て事務局より連絡し、掲載の最終確認を頂いたお手紙のみを掲載しています。また、お名前や居住地等もご希望に沿い、修正や削除の希望がない限り原文通り(誤字等も含む)、全文を記載しています。

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